無意識の世界に触れるためのチカラ

無意識の世界に触れるためのチカラ - 村上さんのところ/村上春樹 期間限定公式サイト

 

以前、新聞のインタビューかなんかで、「無意識に下りて行く技術を身につけ、そのようにして物語を書いている」といったことをお話されていたと記憶しています。どういった方法で無意識の世界に触れていらっしゃるのか、教えていただけたら幸甚です。
(ぴーすけ、男性、44歳、会社員)

こればかりは「こうすればいいんですよ」と教えることができません。簡単にいえば、意識を集中して物語を語り、語りながら一種のトランス状態に入っていくということになると思います。長距離走者が経験するランナーズハイに少し似ているかもしれません。小説を書くには、そのようなトランス状態をある程度自由に作り出す心的能力と、そこで見たものを素早く文章に換えていく技術力(デッサン力)とが必要とされます。もちろんこれは「僕の場合は」ということであって、他の人にはあてはまらないかもしれませんが。

 

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ユングが聞いたら喜びそう。

文章の書き方

文章の書き方を学びたいのなら - 村上さんのところ/村上春樹 期間限定公式サイト

 

自己表現をするにあたっての僕のアドバイスは、レイモンド・カーヴァーが大学の創作講座で生徒たちにしたアドバイスとまったく同じものです。「書き直せ」、これがすべてです。いろんなものを書き散らすのではなく、ひとつのことを何度でも何度でも、いやになるくらい書き直す。これが大事です。その作業に耐えられない人は、まず作家にはなれません。それから指導してくれる人、忠告を与えてくれる人が必要です。何度も書き直し、何度も忠告を受ける(あるいは批判される)、そうやって人は文章の書き方を学んでいきます。

たしかに職業的小説家になるのは簡単ではありません。しかしたとえ小説家にはなれなくても、人が生きていく上で、文章技術を身につけるというのはとても大切なことだと僕は思います。何かと役に立つものですよ。

 

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推敲ということだと思う。

自分を超えること

「シナリオを書いている私」が恥ずかしい - 村上さんのところ/村上春樹 期間限定公式サイト

村上さんは小説を書いている時に、恥ずかしくて書けなくなったようなことはありましたでしょうか。
このような私が最後まで物語を書くにはこの先どうしたらよいかなど、ご助言ございましたらご教授いただけませんでしょうか。
よろしくお願いいたします。
(物語好き、男性、26歳、会社員)

もし「シナリオを書いている私」というものに恥ずかしさのようなものを感じられるのであれば、はっきり申し上げまして、それはあなたが自分自身を超えていないからです。ものを書いているあるポイントで自分自身を超えることができたら、恥ずかしさみたいなものを感じているような余裕はないはずです。もっともっと自然に書きたくなるはずです。頭で筋を考えていると、どうしても自分を超えることはできません。身体全体でしっかり考えないとだめです。

ペラ五枚の断片でもいいから、自分で気に入ったものがあれば、それを徹底的に書き直すと良いと思います。初心者のうちは書き直しがすべてです。漫然とあちこち書き散らすのではなく、局地に集中すること。我慢強くトンカチ仕事に励むこと。そこからきっと自然な何かが出てきます。

小説にはうなぎが必要

小説にはうなぎが必要なんですね - 村上さんのところ/村上春樹 期間限定公式サイト

村上さんにおりいって質問・相談したいこと 読者↔村上春樹

こんにちは。以前村上さんが柴田元幸さんとの対談で仰っていた「うなぎ説」というのにハッとさせられました。そして何かストンと胸に落ちるものがありました。だから村上さんの描く人物は生きているんだな、とか、物語が開かれているんだな、とかです。「書き手」と「うなぎ」と「読者」による「三者協議」という姿勢で書いていらっしゃると、自分で書きながらも書かされている、というか大きなうねりの中に身を委ねるような感じになりませんか? それともひたすら地下に潜るという感じですか? よろしかったらお答えお願いします。
(もげらっぱ、女性、49歳、公務員)

うまく説明はできないんですが、うなぎの存在が大事なんです。世の中に出回っている小説の中には、うなぎがあまりうまく描かれていないものがけっこう数多くあります。作者と読者だけでは、小説はそれほど遠くまでいけません。うなぎが出てきて、初めてその小説は遠くまでいけるんです。うなぎが出てきたら、もうしめたものです。あとはそれをすらすらと書いていくだけです。わかりますか? 

村上春樹

 

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場合によってはナマコでも良いのではないか。

we have many in common

The feeling I get from your books - 村上さんのところ/村上春樹 期間限定公式サイト

 

The feeling I get from your books

Well I first read “1Q84” completely by chance, and I was so captivated that I ordered nearly every novel you have written and read them in quick succession, I was completely hooked from the taxi ride. Recently, I tried to explain to someone (I am Irish) what the books were about, but found that I can't tell them apart so well anymore, instead I am left with a dreamlike memory of cats, exquisite ears, moons and spirit shadows. But one thing remained very strongly imprinted on my mind and I realised that I loved reading your books primarily because of the feelings of pure calm they evoked in me. I always experienced a strange peace, often followed by strong urges to be kind to be honest (and this held even on one occasion when I felt that I really didn't understood the book at all). I don't know why the books effected me in this way and I have been pondering it for a while, I do remember having this feeling as a child when reading fairy stories or folklore and I guess my question is whether you draw heavily from Japanese folklore in the worlds you create in your books, and, if so, could you suggest something that I should read? 
(Amanda Kel-Li、女性、41歳、Archaeologist)

Dear Amanda,

It is not Japanese folklore I use when I write my stories. I use my own fantasies and imaginations stocked in the basement of my mind. In the meantime, you have your own fantasies and imaginations stocked in the basement of your mind. And, I suppose, our fantasies and imaginations have many mutual parts. I am Japanese and you are Irish. But still, we have many things in common in the basement of our minds. I think that is the true meaning of writing and reading. Stories could be the personal communication tool between you and me.

 

 

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it is  like Jung psycology.

何かを掘り起こすという感覚

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ある日本人の女性作家の方が、物語を書くということは、それは作り出すというよりは、どこかに埋まっている「それ」を掘り起こす作業だ、と何かに書いていらっしゃいました。それは村上さんの「向こうからくる」という感覚に近いと思いますか? 

私は数学を使って社会現象を読み解く研究をしていますが、何かの拍子にとても調和が取れた、しかも何らかの「本質」をあらわすモデルをみつけたとき、古来そこにあった何かを「掘り起こした」感覚にとらわれることがあります。
(たろ、男性、44歳)

僕らはいろんなことを「見つけた」と言いますが、実際にはそこにもともとあったものを掘り出したという方が近いかもしれませんね。たしかに、僕らが新たに見つけられるものなんて、たかがしれたものかもしれません。僕らはもともとあったものを大事に掘り出すことで満足しなくてはならないのかもしれません。

ブルーズという音楽があります。同じ小節数で、同じコード進行で、百年以上前からえんえんと歌い継がれています。でも歌う人によってブルーズはそれぞれに少しずつ違います。言い換えれば、それぞれのシンガーによって見つけ出された、それぞれのブルーズがあります。そういうわずかな違い方がきっと大事な意味を持つんでしょうね。「くだらない。同じ小節数で、同じコード進行じゃないか。どこに進歩があるんだ」と言う人もいるかもしれませんが、それでも。

 

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漱石夢十夜の運慶快慶の話みたいだ。

「物語の復権」について~村上さんのところ

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語の復権」について考える

いつも楽しく村上さんの作品を読ませてもらっております。
ところで、小説と物語ってどう違うのでしょう。私は日本文学を専攻しているのですが、さっぱりわかりません。少なくとも、物語は別の宇宙を創造しているような、広く深い感じがします。
(ぽっぽっぽ、男性、20歳、大学生)

小説と物語はべつのものではありません。小説という容れ物の中に、物語という装置が含まれていると考えていただければいいと思います。ただ二十世紀になって長いあいだ、「物語」というものが小説的環境からはじき出されていた――あるいは下位のポジションに追いやられていた――時期がありました。そんなものはもう時代遅れだ。それよりは心理描写だろう、言語解体だろう、意識の解析だろう、実験小説だろう、社会主義リアリズムだろう、ポストモダンだろう……みたいな。でも近年になってようやく「物語性」の大きな揺り戻し、というか復権がありました。もちろんその新しい「物語」は旧来の物語そのままではありません。それを引用しながら、そこに新しいイディオムを積極的に付け加えているわけです。だいたいわかっていただけましたでしょうか? 

僕が「物語の復権」という動きを最初に感じたのはジョン・アーヴィングの『ガープの世界』でした。それからティム・オブライエンの『カチアートを追跡して』。それらを読んで「ああ、こんなのもありなんだ」と思いました。そこには新鮮な驚きがありました。もちろんガルシア=マルケスをはじめとする南米系マジック・リアリズムの影響もその背景にはあったわけですが。