何かを掘り起こすという感覚

何かを掘り起こすという感覚 - 村上さんのところ/村上春樹 期間限定公式サイト

 

ある日本人の女性作家の方が、物語を書くということは、それは作り出すというよりは、どこかに埋まっている「それ」を掘り起こす作業だ、と何かに書いていらっしゃいました。それは村上さんの「向こうからくる」という感覚に近いと思いますか? 

私は数学を使って社会現象を読み解く研究をしていますが、何かの拍子にとても調和が取れた、しかも何らかの「本質」をあらわすモデルをみつけたとき、古来そこにあった何かを「掘り起こした」感覚にとらわれることがあります。
(たろ、男性、44歳)

僕らはいろんなことを「見つけた」と言いますが、実際にはそこにもともとあったものを掘り出したという方が近いかもしれませんね。たしかに、僕らが新たに見つけられるものなんて、たかがしれたものかもしれません。僕らはもともとあったものを大事に掘り出すことで満足しなくてはならないのかもしれません。

ブルーズという音楽があります。同じ小節数で、同じコード進行で、百年以上前からえんえんと歌い継がれています。でも歌う人によってブルーズはそれぞれに少しずつ違います。言い換えれば、それぞれのシンガーによって見つけ出された、それぞれのブルーズがあります。そういうわずかな違い方がきっと大事な意味を持つんでしょうね。「くだらない。同じ小節数で、同じコード進行じゃないか。どこに進歩があるんだ」と言う人もいるかもしれませんが、それでも。

 

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漱石夢十夜の運慶快慶の話みたいだ。