murakami haruki says he sometimes experiences supernatural things.

Do you believe in the unbelievable?

In the context of one of your stories, a little green 2nd moon can appear, or a man can talk to cats, or ghosts can materialize. Are these supernatural occurrences just narrative devices for stories, or do you really believe in the unbelievable? 
(Kid Cryptid、男性、32歳、Delivery driver)

When I am writing those stories, I really believe in those “unnatural things.” It actually happens around me. But when I am not writing stories, I am just an ordinary man with strong common sense. I come and go between those two different worlds. Busy, but fun.

 

・こんなつまらない世界も、一皮むけば、けっこう面白いことになっているかもしれません。そのような可能性を具体的に示していくのが、小説の使命なのです。

 

Honestly, I don’t think about the readers, either domestic or foreign, when I write. I have no idea what kind of people are reading my novels. Stories come to me and I grasp it and write it down. That is all. It is just like catching exotic birds or butterflies in the deep woods. I have no time to think about the readers. I am too busy catching stories. If I lose sight of them once, they would be gone in an instant, and probably for good.

Did you get the general idea? Thanks for reading my books.

 

 ・僕は小説を書く人間なので、良いも悪いも、今ここにあるものをじっくりと正確に観察することが仕事です。良いとか悪いとかは、できるだけ判断を避けるようにしています。たしかに今ある状況を見ていると、いささかがっかりしてしまうこともありますが、僕としては姿勢を変えることなく、自分の持ち場で自分のやるべきことを継続してやっていくしかありません。

 

僕が想像ででっちあげて小説に書いたものが、現実にあるものと酷似していて、「取材したのだろう」とか「モデルにしたのだろう」と言われることはけっこうよくあります。想像で書きました、と言ってもなかなか信じてもらえません。

僕はいったん頭の中で何かを想像すると、それをどんどん細密に作り上げていきます。細部をひとつひとつ具体的に固めていくわけです。するとそれがどこかで現実に結びついてしまうのかもしれません。僕はそういう手仕事が好きだし、わりに得意なのです。『ノルウェイの森』に出てくる精神医療施設もまったくの想像の産物ですが、それとそっくりのところがあると聞きました。いろんな方面にご迷惑をおかけしていないといいのですが。

 

・僕はいつも言うんですが、ほんとうに真剣に本を好きになる人間は、全人口の5パーセントくらいのものです。つまり一つのクラスにせいぜい二人くらいです。だから「みんなに本を読ませよう」と思っても無駄なんです。

 

・僕はいったん腹を決めたらわりに開き直ってしまう性格なので、とくに躊躇はしません。ほんとはもっとどんどん好きなことを好きに書きたいのですが、こういうたくさんの人が訪れる場所なので、それなりに自粛し、これでもそうとうマイルドなものになっています。最近のネット環境ってかなり危険を含んでいますから、注意が必要です。「本音版」みたいなのがあると……怖いですね、考えただけで。

 

・小説を書くというのは、自分以外の誰かになることでもあります。訓練すれば、誰にでもなれます。もう一度十五歳になるというのは、なかなか素敵なことでしたよ。

 ・そういえば「読者の喜ぶ顔」なんて、考えたことなかったかも。僕も小説を書くときは、だいたい自分のことしか考えていません。そういうところはあなたと同じようなものかもしれない。でも自分のことを真剣に正直に、どんどん深く考えていけば、そこには自ずと他人も含まれてくるのではなかろうかと、僕は考えているんです。あくまで自分寄りの私見ですが。

・ステーシー・ケントのCDは、ロンドンでカズオ・イシグロにもらったものです。彼の作詞した曲が二曲入っています。どちらもなかなか素敵な曲ですよ。

・僕は基本的に、人間の意識というのは地表では個別のものだけど、ずっと地下深くに潜っていくと、あちこちで相互的にくっつきあっているものだという感覚を持っています。ですから、物語という穴をどんどん深く掘っていけば、その繋がりに訴えかけることができるはずだと。それが僕の小説を書く目的であり、方法であるわけです。それをcollective consciousnessという言葉で表現することもおそらく可能でしょう。

そのcollective consciousnessが健全な方向に向かっているか、カオスに向かっているのか、それは僕にはわかりませんし、また正直言って、あまり興味のない問題です。「何が健全で何がカオスか」という設問自体に意味があるかどうかもよくわからないからです。僕にできるのは、ただ深い穴を掘っていって、そこに到達するということだけです。僕は観察する人間であり、判断する人間ではありません。

・僕は小説を書いているだけで、とくに「読者に伝えたいこと」があるわけではありません。小説は新聞の社説ではありませんので、「これを伝えたい」という具体的なメッセージがそこにあるとは限りません。そのかわり、新聞の社説を読むよりはずっと(たぶん)面白いです。まず「面白いな」と思っていただければ、こちらの意図のおおかたは伝わったようなものです。頭よりは心で、心よりは魂で読んでもらうことが、小説家にとっての大きな喜びになります。もちろんそれにこたえるだけの作品を書かなくてはならないわけですが。